CONCEPT

「ALIVE & PEACE」は、「“遠くの誰か”を、“あの場所のあの人”に。」をキャッチコピーとした、新しいコンセプトの国際問題啓発イベントです。

突然ですが、全く知らない場所で起こるニュースよりも、自分の家族や友人が暮らす場所のニュースが気になってしまったことはありませんか。あるいは、何か悲惨なニュースを目にしたとき、その場所に親しい人たちが暮らしていて、真っ先にその人たちの顔が浮かんでしまったことはありませんか。私たち人間は、遠くの場所で暮らす人々について考えるとき、一人でもそこに暮らす人の顔を浮かべることができれば、より主体的に、より具体的に、より深く思いを馳せることができるのです。私たちは、当イベントにおいて、まさにそのような体験を作り出すことによって国際問題を啓発しようと考えています。

当イベントで焦点を当てるのは、問題の渦中に置かれた一人一人の「暮らし」です。日々の報道や学校教育など、国際問題が伝えられる過程で見落とされてしまいがちな、一人一人の人間の暮らしに重きを置くことで、我々の取り上げる問題への見方が大きく変わることを目指しています。つまり「苦しんでいる、特殊な人たちの問題」として国際問題を考えてもらうのではなく、「私と同じ、一人の人間の出来事」として国際問題を考えてもらいたいのです。そこでイベント名である「ALIVE & PEACE」には、問題の渦中に置かれた人たちが「生き生きと暮らしている姿(ALIVE)」に触れるという体験を通して、主体的に「平和(PEACE)」について考えてみてほしいという思いを込めました。また「ALIVE」には、「A LIVE(ひとつのライブ)」という意味も含まれており、その場に参加することでしか味わえないライブ感のある演出を考えております。

ABOUT EVENT

【日時】

2017年11月18日 土曜日 16:00~21:00

2017年11月19日 日曜日 16:00~21:00

【タイムスケジュール】

【場所】

下北沢ケージ

(東京都世田谷区北沢2-6-2)

小田急線/京王井の頭線下北沢駅南口から徒歩3分

写真展 India

『こいのつま -インドの物乞いを想う-』

インドの地で、僕は「物乞い」と呼ばれる人たちに出会った。貧しさの象徴とも呼べる彼らは、お金や食べ物を求めて、富裕層や観光客に手を伸ばす。ただ、それだけではない。彼らはそれぞれに過去を背負いながら、彼らなりの暮らしを生き生きと営んでいる。「こいのつま」とは、恋心のきっかけを意味する古い言葉である。彼らの素直な暮らしに心惹かれた、僕の目に写った「ひと」や「もの」。写真を通して、そのすべてを伝えたい。

“貧しさの象徴”が、“卑しさの象徴”で終わらぬように。

【監督より】

僕がインドの物乞いに初めて出会ったのは、二年前、ある駅のホームでのことでした。片脚のない男が、元の色が分からないほどに汚れ、元の形が分からないほどに破けたシャツを身に纏い、地面を這い回っては旅行者たちに手を伸ばしていました。何も知らなかった僕はそのとき「見てはならないものを見てしまった」という感覚に襲われ、思わず目を逸らしてしまったことを覚えています。本写真展では、物乞いを生計の一部としている、ハンセン病という病気を経験した人々や最貧困地域で暮らす人々などの写真を展示します。彼らの暮らしに密着した僕が今伝えたいのは、彼らは確かに貧しいけれど、決して目を逸らさなければならないような卑しい人々ではないということです。「物乞い」という単語からは到底想像することもできない彼らの素直な暮らしをぜひご覧ください。そして彼らがなぜこの時代に物乞いをしなくてはならないのか、想いを馳せてみてください。

映像展 Fukushima

『音なき潮騒』

福島県南相馬市小高区。原発から20km圏内のその地は、6年前、避難指示区域に指定された。住民たちは強制避難を余儀なくされ、そこから5年もの間、住むことが許されなかった。と、そこまでしか、報道では知ることができない。避難解除がされ、約1年。報道すらされなくなった、その地に住む人は単に「憐れむべき人たち」でいいのだろうか。報道からは消し去られてしまう「一人の人間」に密着する中で、私たちは、忘れていたものに気づく。6年前の震災、そして被災地の「一人の人間」は、今の私たちに重大なことを問いかける。

被災者を、単なる “被災者” 以上のものに。

【監督より】

私が最初に福島県南相馬市を訪れたのは、昨年7月でした。倒壊した建物、伸びきった草木、地震の時間で止まった時計、2011年3月のままめくられることのなかったカレンダー。その一つ一つ全てが、5年という歳月の長さと虚しさを思わせました。それから、私はその悲惨な姿を伝える活動をしてきました。しかし、何度も訪問を重ねていくうちに私は見落としていたものに気づいたのです。それは、そこに生きる人がいる、という当たり前のことでした。自分がそれまでしてきた活動だけでなく、福島に関する報道でも「廃炉作業が遅れている」「未だに避難者が〇〇人いる」と、ニュースバリューや特殊性が重視され、そこだけうまく切り取って伝えられます。しかし、その場では「“私たちと同じ”一人の人間」がそこに生きているという事実が削ぎ落とされています。その地には、私たちと同じように笑い、悲しみ、楽しみ、悩み、幸せを感じる人がいます。当たり前のことですが、そんな当たり前のことが削ぎ落とされて伝えられてしまう「フクシマ」だからこそ、私はこのドキュメンタリーを作ろうと決めました。